【エピソード】毒親の対処法~長い冷戦の終結~【毒親育ち】
【エピソード】毒親の対処法~長い冷戦の終結~【毒親育ち】
毒親と一言で言っても、ネグレクトや虐待なの犯罪レベルのものから、過干渉や親が異常にヒステリックなど千差万別。
私の場合は、母親がヒステリックで父親は癇癪持ちで威圧的。
機能不全家族に近い環境でした。
とにかく幼少期は、息苦しさと拠り所のなさを感じて不安で孤独な日々を過ごしていた記憶があります。
この記事では、私が毒親からの呪縛をどのようにして解放していったかを書いていきたいと思います。
目次
- 今だから分析できる毒親の言動
- 親も愛情に飢えていた
- 感情の爆発
- それから・・・
- まとめ
- 今だから分析できる毒親の言動
・毒母
私の母親は自分の思い通りにならなければ、「悪い子」で自分の思い通りになれば「良い子」と言って褒めてくれる。
今もこういう教育をしている家庭はあるかもしれない。
けれど、こういう教育がいいはずがない。
何故なら子供は常に親の期待に添えるような100点満点のロボットではないからだ。
私の母親は、私が「悪い子」の時や、何かちょっとした気に入らない事があれば、
「あんたなんか生まれて来なければ・・・」
「あんたは拾った子供だ」
「施設に入れるぞ!」
「自衛隊へ入隊させる!」(小学生に)など。
子供が言う事を聞くようにするための「脅し文句」のようなものを使うのが癖だった。
こんな家庭よりも施設に入った方がマシだ!と思って、まだ幼稚園児だった私は「施設に入りたい」と言った記憶がある。
その時の母親は「施設に入ればあんたなんかやっていけない」「何処もあんたを入れてくれる場所なんてない」みたいな事を言っていたけど、本当に施設へ入れる気はなかったようだ。
今だから分かるけれど、母親は育児ノイローゼでストレスが溜り、ヒステリックを起こしていたように思う。
そのため、思い通りにならない私を「何処かおかしい」と言って、病院に連れていかれた事もある。
医師に母親は言った。
「この子、手を洗った後で手の匂いを嗅ぐんです」
今思えば「え?」って感じだけれど当時の母親は、「この子、絶対におかしい!」そう思って信じていた。
当時の母親の真相はこうだろう。
この子が普通じゃないことにすれば、私の教育は間違っていないと思える。
自分を肯定出来るはずだった。
しかし、医師は母親に対して「お母さん、あんまりストレスを溜めないで下さい」「こんなにいい子じゃないですか」と言って私の頭を撫でてくれたのを覚えている。
母親は帰りに「恥を掻いた」などと言って、カンカンに怒っていた。
医師の言葉は自分を肯定してくれるどころか、「お母さん、子供がおかしいんじゃなくて、あなたがおかしいんですよ」そう言っていたからだ。
プライドの高い母親はさぞかしムカついたことだろう。
・毒父
そんな母親のSOSは、もちろん父親には届かない。父親は癇癪持ち&自己中心的な人物で威圧的な態度を家族に取る傾向があった。
例えば、TVのチャンネルを変えようとしたら「これは俺が買ったTVだ!」
ソファーに座ろうと思ったら「これは俺が買ったソファーだ!」
この「俺が金を払ってるからすべては俺のもの」というジャイアン的な思考の持ち主だった。
今思えば子供がTVやソファーを買えるわけないのだから、父親が買って当たり前なのだけれど・・・。
どうやら会社では言いたい事が言えない父親にとって、威厳を保てるのはそこしかなかった。だから自分が買ったものに対してかなり執着しているようだった。
家族に対して優越感を感じられる魔法の言葉は以下の通り。
「俺が金を払っている!」
「俺が養ってやっている!」
「すべて俺が買ったもの!」
この言葉を唱えることで自尊心を保っていたのかもしれない。
- 親も愛情に飢えていた
もちろん、親にも子供時代があった。
それはとても良い環境で、自分を思いっきり表現して愛情いっぱいに育てられた家庭ではなかったということだ。
母親の兄弟は病気がちで母は両親から愛情を受け取れない環境だった。
父親の幼少期は今で言うネグレクトの家庭だった。
母も父も「愛に飢えていた」子供時代だったと言えるだろう。
こうして愛されて育った記憶がない二人は子供への接し方が下手で、子供のためを思ってしていることが実は自分のエゴであることが多い。
本人はそれすら気付いてはいないけど・・・。
きっと二人は結婚した時に、「良い家庭を築きたい」と願ったに違いない。誰も悪いようになりたいなんて思わないのだから。
それでも毒親になってしまったのは、子供時代に愛情を受けていないので、自分の子供にどう接していいのか分からず、いびつで、偏った思考を持ったままの「愛情」を向けてしまったためだろう。
そう思えば、毒も「愛」だったのかもしれない。
しかし毒親の連鎖はここで食い止める。
食い止めるべきなのだ・・・。そこで私が取った行動とは・・・。
- 感情の爆発
毒親育ちの私は当然、人としての心が上手く機能しなくなっていた。
親に反抗すれば家から閉め出されてしまう。
居場所がない不安感と孤独。
そして徐々にこう思うようになる。
私が間違っているのかもしれない・・・。
だったら自分さえ我慢したらうまくいくのか・・・?
そう考えた私は自分の感情を押し込めて、所謂「ピエロ」を演じ始めていた。
学校でも家庭でもピエロという役割を演じることで、自分の感情を殺しバカになれる。
バカを演じて、みんなが笑えば「私は必要とされている」そう思えた。
私の居場所あるよね?ね?あるよね?という確認行為のように、私はピエロとして笑いを取って「クラスのムードメーカーです」なんて先生にも言われるようになる。
友人からは「悩みなさそうでいいよね」と嫉まれる。
誰も、何も分かってはいない。それが更に孤独感を増幅させて私の心はすっぽりと空いたまま埋まる事はない。
それでも無理して演じ続ける。みんなが笑う、私は演じる、みんなが求める、私は演じる。このループだ。
いつしか皆が求める自分になって、本当の自分を忘れてしまっていた。
そして数年後、限界が来た。ピエロも一生続けることは出来ないのだ。
次第に何のために生きているのか分からなくなり、もういっそのこと死んでしまおうと思うようになっていた。
こうなれば最後だ。
親にすべてを爆発させてしまおう、それから死ねばいい・・・。
そして私は今まで溜りに溜った感情を爆発させた。
私は愛されたかったんだ!!!!
私は拾った子供じゃない!!!
私は親の言う通りにはならない!!!
自分の人生は自分で決める!!!
もう私は演じない。誰でもない。本当の自分になる。
それがみんなに求められていない、暗くて泣き虫でつまらない奴だとしても。
もういい。嫌うなら嫌えよ!!!!
そう決めて、親にも今まで思っていたことをすべて言葉にした。
思えばちゃんと自分の口から自分の気持ちを伝えたことはなかった。
言わなくて当然だと思っていたし、我慢することが美徳とさえ思っていた。
でも言ってみると、とてもすっきりした。子供みたいに泣き腫らして、親も泣いていた。
かなり親からも反発はあったけれど、最後には
「そんな事思って今まで生きていたんだね、知らなかった」
と言った。
そうです。親だって言われないと知らないのです。伝わってないのです。
言わなくても伝わってる文化の根強い日本だけれど、言わないと永遠に知られないままの事はあるのだった。
でも、これを読んだ人はうちの親は伝わるような人間じゃない・・・。
そう思うかもしれない。私も思っていた。
うちの親は別なんですと。異常なんですと。
私は伝える時に、別に伝わらなくてもいいと思っていた。伝えることで更に親子の関係が悪くなったとしても別に構いはしない。これで最後なんだからと。
ただただこの心のわだかまりをすっきりさせたかった。それだけだった。
思いのほか、私の気持ちは相手に通じた。苦しかった幼少期、あの頃の自分をやっと迎えに行けた気がした。
「もう大丈夫だよ」と・・・。
なんだか爆発させると 気分は晴れやかになって、すぐにでも死のうと思っていた自分は「もうちょい生きてみるか」そういう風に心変わりしていた。
~ここから親子関係は変わり始める~
- それから・・・
あの毒親はどこへやら・・・?今までのは幻想だったのか?
思いを伝えたあの日から、徐々に徐々に気持ち悪いくらい親は優しくなった。
というか、母親に関してはまるで別人。
確かにたまにヒステリックだけど、あの頃に比べるとヒステリック度数は低い。
当然、喧嘩することもあるけど私はそういう時、我慢しないようになった。
喧嘩になればすべてを口に出している。普段から思ったことは言うようにした。
この事が影響してか、前よりも兄弟との関係も良好になった。
兄弟ともかなり険悪ムードだったのに、今やっと普通に話せる関係になっている。
父は今でも癇癪持ちだけど、たまにデザートを買って来て「スイーツ食べる?」なんてことを言うようになった。こんな人じゃなかったのに・・・。
もちろん「俺が買った!」とは言わない。私を罵る言葉も言ってこなくなった。
そして今では家族で年に二回くらいは旅行へ行ったりしている。
旅行先で
「仲良い家族ですね~」と旅館の人に言われて、
「んなわけあるかー!」
と言いそうだったけど。
客観的に見てこの状況・・・・。
「確かに家族で旅行するって仲いいのかな?」
「え。もしかしてうちって仲いいの!?」とか、数年前だと考えられないことを思っている自分にちょっと驚いている。
- まとめ
家族同士でも 行間は読めない。
何を考えていて、今どんな気持ちなのか分かるはずもないということ。
伝えることで変わることもあるということ。
このことが私の毒親事件簿で学んだことだった。
今まで溜っていたもやもやとした気持ちをぶつけたことではすっきりして、それ以降は言いたい事が言える自分になった。
まだ親以外には流されがちだけど・・・。
どんな事であれ、自分の成長には繋がっていて無駄なことは一つもない。
どんな現実でも自分の意志で変えられる。
そう思いたい。
そして幼い頃の自分と握手して、私と親の長い冷戦は終結。
平和な日々が訪れ、いつかの苦しみも忘れる日が近づいている気がする。
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